なんてことをよく思うんです。

私はアメリカに来るまでは英語まったくできなかったし、やろうともしていなかったし、やり続ける自信もないヘタレだったけど、でもなんとかできるようになりたいという矛盾した憧れみたいなのを持っていて。

そんでアメリカに来たら案の定できなくて毎日泣きべそをかく日々だったけど、なんとかそれでも耐えて、頑張って、そんで今は日常生活と勉強に困ることはないくらいにまでなれたわけです。

日本にいたころは英語って「授業」だった。
英語を使って話すような友達もいなかったし、遊びの感覚はゼロでしたね。別にできなくても生活に困ることはなかったし。
高校のときはたまにオーストラリア人の先生とお遊びでお話するくらい。

しかしアメリカに来たら、英語を使わないと生活に支障がでてくるわけです。
最初はホストマザーがいろいろ手伝ってくれたけど、そのホストマザーとの会話ももちろん英語ですよ。
いちいち辞書なんか引いてる時間はないので、とりあえず今自分の頭の中にあるボキャブラリーを総動員させるわけです。めっちゃエネルギー消費はんぱない。
引っ越しをしてからはルームメイトとよく辞書を引いてこれは電話で使うだろうっていう言葉を予想してた。そんでガスとかネットの契約もしたわけだし。

あとは空港で欠航になったときはさすがにもうなんとかしないと目的地に行けない状況に立たされたわけですから、あれはもう大変だった。窮地に立たされたんで、トイレで大泣きして、我に返って酷すぎる英語でなんとか次の飛行機のチケットの手配しましたね。初めて一人で海外に行くときだったから本当に怖かった。

これって英語だけじゃなくて、どんなことにも言えるんじゃないかと思ったんです。

私は料理教室は脳内テッテレーな人が行くようなところだと思っているわけですけど、料理もいい例ですね。
料理教室なんか行ってる時点で料理なんかできるようになるはずないですよね。
人間って「勉強」とか「教室」になった時点でやる気と言うものがなくなっていくと私は思っています。
料理なんかさ、クックパッドで自分の食べたい料理を検索かけて、つくレポが多いやつを試してみれば良い話なんですよ。
それを何回も繰り返せば自然と料理なんかできるようになりますよ。
なんでお金をかけてまで習わないといけないのかがまったくもって意味不明。

だから思うんですよ。
料理教室に通う人は、料理を作るという必要性に迫られていないんだと思うんです。
実家暮らしで親がご飯を作ってくれたり、それかいつも学校や会社の帰りにはスーパーで美味しそうなご飯を毎日買って帰るとかさ。そういう人が多いと思う。
まあ要は金持ちですよね。羨ましい。
それで「高い女子力」の称号を得ることができるなんて、金持ち女子からしたら安いもんですよね。
本当に料理をしないといけない人ってそんなところに行ってる暇はないはずです。お金がなかったり、時間がなかったり。そんななかでいかに美味しい料理を作ることができるのか研究するはずです。

私は料理上手っていうわけじゃないですけど、最低限のことはアメリカに来てからできるようになりました。前までは味噌汁すら作れなかったからね。ルームメイトには包丁の持ち方が怖いって言われてたくらいですし。

だから「〜ができるようになりたい!」「〜できるようになるためにがんばろう!」って言っているときこそなんも出来るようにならないと思います。
本当にそれができるようにならないと飯が食えなかったりしないと中途半端な取得になるんじゃないかと思っています。今までの20年間という短い期間での経験上の話ですけど。

なにかできるようになりたかったら自分を窮地にたたせることをおすすめします。